リタ・ヘイワース
りタへいわーす
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ギルダ(46)(2)
プロフィール
生年月日: 1918/10/17
没年月日: 1987/05/14
性別: 女性
出身地: アメリカ/ニューヨーク州ニューヨーク・ブルックリン
身長: 168センチ
職業: 役者
その他:
本名はマルガリータ・カーメン・キャンシノ。母親はジーグフェルド・フォーリーズのダンサー、父親はスペイン生まれのラテン・ダンサーという家系に生まれ、幼い頃よりダンスを習う。8歳の時には家族と共に「Anna Case in La Fiesta」(26)に出演。12歳から父親のパートナーとしてメキシコやルイジアナなどのキャバレーを巡業していたため、普通の子供としての生活を送ることはなかった。その後フォックス社の副社長ウィンフィールド・シーハンの目に留まり、リタ・キャンシノの芸名で「ダンテの地獄篇」(35)のダンサー役でハリウッド・デビューを飾る。しばらくは端役としての映画出演が続き、ギルバート・ローランドの相手役に抜擢された映画「ラモナ」(36)のヒロインもフォックス社と20世紀社の合併騒ぎが原因でロレッタ・ヤングに奪われてしまう。その後スタジオを解雇された彼女はフリーランスの俳優としていくつかのB級映画に出演した後、実業家のエドワード・シャドソンの後ろ盾でコロムビア社と7年間の専属契約を交わす。その頃から芸名をリタ・ヘイワースに改め、「完全犯罪」(36)、「麗人野球団」(37)などに出演。同年、シャドソンと最初の結婚をする。転機が訪れたのはハワード・ホークス監督に見出されて出演したアドベンチャー大作「コンドル」(39)の興行的成功から。41年には「いちごブロンド」、「踊る結婚式」、「血と砂」といったヒット作に相次いで出演し一躍トップスターの仲間入りを果たす。「踊る結婚式」で共演したフレッド・アステアは、彼女の親譲りの見事なダンスを絶賛しベスト・パートナーの1人と評した。同じ頃「My Gal Sal」(43)の共演者ビクター・マチュアと結婚するため43年にシャドソンと離婚するが、パーティで知り合ったオーソン・ウェルズと恋に落ち、同年にウェルズと再婚、コロンビアの看板女優となったヘイワースは、アステアとの再共演を果たした「今宵よ永遠に」(45)の興行的成功によってスターとしての地位を浮動のものとし、46年にはフィルム・ノワールの傑作「ギルダ」に出演。グローブを脱ぎながら“Put the Blame on Mame”を歌うセクシーなシーンが話題となって、ヘイワースは新しいハリウッドのセックス・シンボルと評される。その後夫のウェルズが製作、監督、脚本、共演したミステリー「上海から来た女」(47)に出演、映画は興行的に失敗し、同年ウェルズとの結婚も終りを告げる。ウェルズとの間には一女がいる。その後インドの大富豪アリ・カーンと激しい恋に落ちて49年に結婚するが、生活習慣の違いから結婚生活は長く続かず、53年に離婚。「醜聞殺人事件」(52)で映画界にカムバックを果たし、「情炎の女サロメ」(53)や「雨に濡れた欲情」(53)などに出演するが、どれも全盛期ほどのヒットにはならず、スタジオ内ではコロムビアの重役ハリー・コーンとの争いが絶えなかった。同年に歌手のディック・ヘイムズと4度目の結婚をするが、55年に離婚。しばらくヨーロッパに滞在していたが、「海の荒くれ」(57)で4年ぶりの映画出演を果たすが、「夜の豹」(57)のヒロインの座をコロムビアの新鋭キム・ノヴァクに奪われ、この作品を最後に20年間在籍していたコロムビアを離れる。58年には製作者のジェームズ・ヒルと5度目の結婚を果たすが3年で終りを告げる。晩年は酒に溺れてアルコール依存症となり、映画への出演も激減する。72年の「サンタマリア特命隊」が遺作となり、87年にアルツハイマー病で69歳の生涯を閉じる。
没年月日: 1987/05/14
性別: 女性
出身地: アメリカ/ニューヨーク州ニューヨーク・ブルックリン
身長: 168センチ
職業: 役者
その他:
本名はマルガリータ・カーメン・キャンシノ。母親はジーグフェルド・フォーリーズのダンサー、父親はスペイン生まれのラテン・ダンサーという家系に生まれ、幼い頃よりダンスを習う。8歳の時には家族と共に「Anna Case in La Fiesta」(26)に出演。12歳から父親のパートナーとしてメキシコやルイジアナなどのキャバレーを巡業していたため、普通の子供としての生活を送ることはなかった。その後フォックス社の副社長ウィンフィールド・シーハンの目に留まり、リタ・キャンシノの芸名で「ダンテの地獄篇」(35)のダンサー役でハリウッド・デビューを飾る。しばらくは端役としての映画出演が続き、ギルバート・ローランドの相手役に抜擢された映画「ラモナ」(36)のヒロインもフォックス社と20世紀社の合併騒ぎが原因でロレッタ・ヤングに奪われてしまう。その後スタジオを解雇された彼女はフリーランスの俳優としていくつかのB級映画に出演した後、実業家のエドワード・シャドソンの後ろ盾でコロムビア社と7年間の専属契約を交わす。その頃から芸名をリタ・ヘイワースに改め、「完全犯罪」(36)、「麗人野球団」(37)などに出演。同年、シャドソンと最初の結婚をする。転機が訪れたのはハワード・ホークス監督に見出されて出演したアドベンチャー大作「コンドル」(39)の興行的成功から。41年には「いちごブロンド」、「踊る結婚式」、「血と砂」といったヒット作に相次いで出演し一躍トップスターの仲間入りを果たす。「踊る結婚式」で共演したフレッド・アステアは、彼女の親譲りの見事なダンスを絶賛しベスト・パートナーの1人と評した。同じ頃「My Gal Sal」(43)の共演者ビクター・マチュアと結婚するため43年にシャドソンと離婚するが、パーティで知り合ったオーソン・ウェルズと恋に落ち、同年にウェルズと再婚、コロンビアの看板女優となったヘイワースは、アステアとの再共演を果たした「今宵よ永遠に」(45)の興行的成功によってスターとしての地位を浮動のものとし、46年にはフィルム・ノワールの傑作「ギルダ」に出演。グローブを脱ぎながら“Put the Blame on Mame”を歌うセクシーなシーンが話題となって、ヘイワースは新しいハリウッドのセックス・シンボルと評される。その後夫のウェルズが製作、監督、脚本、共演したミステリー「上海から来た女」(47)に出演、映画は興行的に失敗し、同年ウェルズとの結婚も終りを告げる。ウェルズとの間には一女がいる。その後インドの大富豪アリ・カーンと激しい恋に落ちて49年に結婚するが、生活習慣の違いから結婚生活は長く続かず、53年に離婚。「醜聞殺人事件」(52)で映画界にカムバックを果たし、「情炎の女サロメ」(53)や「雨に濡れた欲情」(53)などに出演するが、どれも全盛期ほどのヒットにはならず、スタジオ内ではコロムビアの重役ハリー・コーンとの争いが絶えなかった。同年に歌手のディック・ヘイムズと4度目の結婚をするが、55年に離婚。しばらくヨーロッパに滞在していたが、「海の荒くれ」(57)で4年ぶりの映画出演を果たすが、「夜の豹」(57)のヒロインの座をコロムビアの新鋭キム・ノヴァクに奪われ、この作品を最後に20年間在籍していたコロムビアを離れる。58年には製作者のジェームズ・ヒルと5度目の結婚を果たすが3年で終りを告げる。晩年は酒に溺れてアルコール依存症となり、映画への出演も激減する。72年の「サンタマリア特命隊」が遺作となり、87年にアルツハイマー病で69歳の生涯を閉じる。
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